2014年01月17日

財産相続人(5)

 次の朝、廊下の窓のそばの籐椅子とういすに掛けて本を読んでいると、廊下の向うのはしから茜あかねさんがひどくまっすぐな姿勢でこちらへちかづいて来た。
 ウールのレーンコートを着て、腕に外套をひっかけている。瘠やせているので、ほんとうの身丈みのたけよりずっと長身に見える。面おもざしは冷たすぎるほど端正たんせいで、象牙のような冴さえかえった色をしていた。
 廿二三だと思われるのに、どこか、ひどく老ふけたところがあって、娘がいきなり大人になったような妙な感じをあたえる。
 すらりと、キャラコさんのそばに立って、
「いいお天気ね。発動機艇モーター・ボートで箱根町のほうへ出かけてみません? すこし、お話したいこともあるのよ」
 否応いわせない、おしつけるような調子があった。
 キャラコさんは、きのうの返事がきけるのだと思って、急いで自分の部屋へ行って帽子と外套を持ってきた。
 二人は桟橋さんばしまで歩いて行ってそこで、発動機艇モーター・ボートに乗った。
 とりわけ、きょうは陽ざしが熱く、湖の面おもてはガラスのようにきらめいて、深い水底みずそこでときどきキラリと魚の鰭ひれが光った。
 モーターの響きがこころよく身体につたわる。茜さんは、眼を細めて、うつりかわる対岸の景色をながめたまま、いつまでもおし黙っている。キャラコさんは、すこし気味が悪くなって、
「お話って、どんなお話」
 と、おそるおそる切り出してみた。よくよく辛抱したあげくのことである。茜さんは急にこちらへ顔をふり向け、運転手のほうを眼で指しながら、
「ここでは、なにも申しませんわ。あなただって、それでは、お都合が悪いでしょうからね」
 と、謎なぞのようなことをいうと、また、クルリとむこうを向いてしまった。
 どういう意味なのか一向わからない。何かひどく腹を立てていることだけはわかる。しかし、どう考えて見ても、茜さんを怒らせるようなことをした覚えはない。
(いったい、何をいいだす気なんだろう)
 キャラコさんは、ひとりで首をひねっていたが、そのうちにめんどうくさくなって、そんなことにクヨクヨしないことにした。
 浮うきヶ島の近くへ来ると、発動機艇モーター・ボートは速力を落として、岬の鼻のところでとまった。
 茜さんは、ボートから降りると、岸づたいに岬の鼻を廻り、先に立って御用邸ごようていの下の深い林の中へズンズンはいって行く。
 キャラコさんは、なんだか嫌気いやきがさしてきて、ついて行きたくなくなった。
「お話って、こんなところでなければいけないことですの」
 茜さんは、キッと振り返って、冷酷な眼つきでキャラコさんを見すえると、
「それは、あなたのほうが、よくご存知でしょう。……逃げようたってだめよ。だまってついて来てちょうだい」
 と、甲高い声で叫んだ。
 キャラコさんは、閉口して、またトボトボと歩き出した。
 鬱蒼うっそうと繁り合った葉の間から、陽の光が金色の縞しまになってさし込んでいる。しんとして、小鳥の声のほか何の物音もきこえない。
 茜さんは、急に足をとめて、顎あごで指して、大きな切り株へキャラコさんを掛けさせると、自分は樹きの幹に背をもたせて立ったまま、悪く落ち着いた声で、
「……どう? ここなら、どんな話でもできるわね。……あたしが、こんなに気をつかってあげるのは、女のよしみだけですることなのよ。親切だなんて思いちがいしないようにして、ちょうだい」
 それにしても、わけのわからないことばかりいう。キャラコさんは返事のしようもなくておし黙っていると、茜さんは、唇のはしに皺しわをよせてジロジロとキャラコさんを見おろしながら、だしぬけに、
「キャラコなんて、ずいぶんトンチキな名ね。ひとを喰ってるわ」
 と、切って放すように、いった。すこし無礼だと思ったが、キャラコさんは、笑いながら素直にうなずいた。
「そうね」
「それ、あなたの本当の名?」
 キャラコさんは、うちあけた話をする。
「いいえ、綽名あだななのよ……あたし、いつもキャラコの下着を着ているでしょう。だもんだから……」
「本当の名は、なんというの? 宿帳には、沼間槇子ぬままきことなっていますわね。あれがそうなの?」
「いいえ、あれは従姉いとこの名よ」
「じゃ、あんたの名は?」
 キャラコさんは、まっすぐに茜さんの顔を見つめながら、こたえる。
「それは、いえないことになっていますの」
 ふうん、と鼻を鳴らしてから、
「じゃ、あんたのお父さまは、何をなさる方?」
 キャラコさんが、首をふる。
「それも、いえませんの」
「おや、不便ね。……どういうわけで?」
「それも、申し上げられませんわ」
「ええ、いってくれなくても結構よ。……要するに、あんたは、偽名ぎめいして、あんなところに隠れているのね」
 茜さんは露骨な嘲笑をうかべながら、
「なにか、よくよくうしろ暗ぐらいことがあるのね」
 キャラコさんは、返事をしなかった。うしろ暗いことなんかないといってみたところで、しょせん水かけ論だからである。
 茜さんは、勝ち誇ったような声で、
「そんなことぐらいわからないと思う? あたしはよほど前からちゃんと知っていたのよ。あんた、槇子まきこさんと呼ばれると、ときどき、返事をしはぐるでしょう。……ははあ偽名をつかっているんだな、ってそう思っていたの。……いったいどうしたっていうの?……あんた、ここで、そっとママにでもなるというわけ? それとも、なにか、もっと深いわけがあるの?……いずれにしても、浮世うきよを忍ぶには屈強の場所ね。……でも、そんなことは、あたしの知ったことじゃない。おうかがいしたいのは、ほかのことなの」
 キャラコさんが、落ち着いた声でいう。
「おっしゃってみて、ちょうだい」
 傲慢ごうまんに、上から見おろしながら、
「あんた、兄に対して、どんな感情を持っていらっしゃるの」
「お気の毒だと思っていますわ」
「おや、たったそれだけ?……ほんとうのことをいってくださいね」
「あたし、嘘なんかいったことはありませんわ」
 茜さんは、ふん、と鼻で笑って、
「自慢らしくいうわね。だいたい、嘘のある齢としでもないじゃないか。あんたなんか、まだ子供だわ。……でも、あんたは別なのかも知れない。……ねえ、かくさずにいってちょうだい。あんた、兄に対して何か特別な感情を持っているんじゃない?」
 キャラコさんは、ゆっくりとかんがえてみる。
 どう考えても、特別なんてことはないようだ。佐伯氏にたいする愛の感情は、秋作氏や立上たてがみ氏にたいするそれとちっとも変わりがないように思う。ただ佐伯氏のほうはたいへん不幸なので、どんなことでもして慰めてあげたいという、すこし別な気持が加わるだけのことである。
 キャラコさんは、微笑しながらこたえた。
「特別な感情なんかもっていないようよ」
「じゃ、なぜ、あんなにしつっこく兄をつけ廻すの」
「あなた、考えちがいをしていらっしゃるんだわ。あたし、本を読んであげたり、お話をしてあげたりしているだけなの」
「それ、本当でしょうね」
「本当よ」
「誓うことができて?」
「ええ、誓ってもいいわ」
「そんなら、それでいいから、じゃ、もうこれっきり兄に逢わないようにしていただきますわ」
「あら、なぜでしょう」
 茜さんは、マジマジとキャラコさんの顔をみつめながら、吐きだすように、
「汚けがらわしいからよ、あんたのようなひと」
 そばへ寄ってもらいたくないというふうに、殊更ことさららしいしぐさでとなりの幹に移ると、それに背をもたせながら、
「ご存知ないかもしれませんけれど、あたしの一族は純血ピュウル・サンなのよ。……だから、あんたのような、うしろぐらいところのある下等なひとはそばへ寄せつけないことにしてあるの。膚はだがけがれますから。……どう、おわかりになって? これでもわからなければ、あんた、すこし馬鹿よ」
 キャラコさんは、思わず立ちあがった。が、すぐ自制した。
(……すこし、頭の工合が悪いのかも知れない。どうも常態ノルマルでないようだわ。こんな非常識なひとのいうことにムキになったりしたら、それこそ、こっちがやりきれないことになる。……それにしても、純血ピュウル・サンって、なんのことかしら? 馬うまでもあるまいし、ずいぶん、でたらめなことをいうわね)
 キャラコさんは、馬鹿馬鹿しくなって、口をきく気にもなれなくなった。
 茜さんは、いら立たしそうに眉をひそめながら、
「なんでもいいから、兄から手をひいてちょうだい。いくらつけ廻したって、もうモノにならなくてよ」
 茜さんは美しいので、キャラコさんはたいへん好きだったが、あまり下等な口のききかたをするのでガッカリしてしまった。
「それで、佐伯氏のほうは、どうおっしゃっていらっしゃるの?」
 茜さんは、イライラと足踏みをして、
「兄のことなんか放って置いてちょうだい。もちろん、あんたのことなんか、もう問題にしていなくてよ。……兄はお人好ひとよしなもんで、一向気がつかないの。……だから、あたしからよくいってやりましたわ。……あれは、たいへんなお嬢さんなのよ、って。……兄も不愉快がって、あいつ、どこかへ行ってしまわないかな、っていっていましたわ。……つまりね、あたし、兄の代理でやってきたわけなの」
 キャラコさんは、ちょっと眼を伏せた。
(なるほど! きのうに限って疏水そすいへやって来なかったのは、そういうわけだったんだわ)
 もちろん、よく思われようとしてやったことではないが、それにしても、こんな情けない原因で佐伯氏に逢えなくなるのは、すこし悲しかった。
 しかし、自分でなければ、佐伯氏を慰めることができないというのではないし、それに、いつまでもそばにいてあげられるというわけでもないのだから、どっちみち同じことのようである。立上たてがみ氏の力で、佐伯氏の視力がすこしでも回復すれば、それで自分の好意はとどくわけだ。
 茜さんは、鋭い舌打ちをひとつして、
「ねえ、お返事はどうなの」
 キャラコさんが、はっきりと、こたえた。
「もう、お目にかかりませんわ」
「逢わないっていうだけでは困るのよ。すぐあの宿から出て行っていただけるかしら?」
 キャラコさんは、素直にうなずいた。
「ええ、そうしますわ。今日じゅうならよろしいの?」
「できるだけ早くね」
 茜さんは、背伸びをするようにグッと胸をそらすと、
「……それから、あしたおいでになるというドクトルの件ね、あれ、お断わりしてよ」
 キャラコさんは、眼を見はって、
「あら、どうしてでしょう。そのかたなら、かならずお兄さまのお眼を癒なおして差しあげることができるんです。どうか、そんなことをおっしゃらないで……」
 茜さんは、切りつけるような調子で、
「結構よ。放って置いてちょうだい。……あたし、兄を盲目めくらのままにして置きたいんです」
 キャラコさんは、自分の頬ほほにクワッと血がのぼってくるのがわかった。
「茜さん、あなた……」
 茜さんは、空うそぶいて、せせら笑うように、いった。
「盲目の兄! なんて、ずいぶん、浪漫的ロマンチックじゃないこと?」
 とりつくしまもなかった。
posted by souzoku at 18:51| 日記 | 更新情報をチェックする
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